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■ 高 城 時 雨 (たかじょう・しぐれ)
   
  昭和九年生まれ。鹿児島県出身。
株式会社サン・プロジェクト社長の実姉で
「にんにく卵黄」の生みの親。
   
 

 私は、平成三年十二月にガンを告知されました。膀胱・前立腺ガンでした。
会社勤めも三十年を越え、定年まであと五年、最後の仕上げの時、と思いはじめた矢先のことでした。毎年行っていた人間ドックでは、要精密検査が数箇所にあったため、その年もそれぐらいの覚悟はしていたのでした。また人間ドックでの要注意は、二十年以上にわたる通風、肥満、境界型糖尿病、高血圧などで、考えてみればあらゆる成人病が自分の身体を蝕んでいたのでした。にもかかわらず、健康についてはいつも楽観的に考えていました。とにかく、今は元気、であることを頼りにして、生活のスタイルは何一つ変えようとしませんでした。

 
ガンとの闘病生活
 ところが、ぜひ精密検査をと申し渡され、その結果、即刻入院して手術をと言われてしまいました。そこで、平成四年一月、地元・熊本の大学病院に入院し、手術を受けました。十二時間に及ぶ大手術でしたが、手術は幸いに成功しました。
まったく自覚症状はなく、自分はガンだという実感はどこにもありませんでした。自分が自分の病気を自覚し始めたのは、手術後二ヶ月が経過してからでした。つまり、目に見える悪い部分は手術で切除し、問題は解消したかに思えたのですが、しかし、目に見えないガンの因子が私の身体全体にあったのです。その因子を抗ガン剤等で抑え込まねばならないのでした。投薬の日々が続きました。
 抗ガン剤は強い薬です。当然副作用も強く出てきます。月日の経過とともに、次第に抗ガン剤のためによわっていく自分の身体を否応なしに自覚せざるを得ませんでした。
「とにかくだるい」−胃、肝臓、心臓、血管、筋肉、体毛、頭髪、自分の身体のすべてが内部から崩壊していくのを感じました。歩行すら困難になりました。「ガンは抑制出来ても、薬に殺されてしまう!」そう実感しました。
「何とかしなければならない」−医者には、ガンを抑えることが先決で、他は対症療法しかないと言われました。胃が悪くなれば胃の薬、肝臓が悪くなれば肝臓の薬を与えられる毎日……。そのうえ、人間ドックで要注意と診断されていた成人病の諸症状も、精密検査の結果、次々とデータの上に現れ、明らかに病気となっていきました。つまりガンと同時並行の治療が必要になってきたのです。当然のように薬の量はますます増えていきました。薬づけの毎日が続く中で私は考えました。「病気は薬だけでは治らない。医者に任せっきりの態度も間違いだ。自ら病気に対する考え方、自覚を確立しなければならない」そう決心した私は健康を自分の力で勝ちとろうと思いました。そのために医師や薬の力をかりるのだと決意したのです。
 
 
 健康の基本は、食事、睡眠、運動で、『薬だけではない!。』
この基本にそって、『病気を治し、健康を取り戻そう。』決心した私は、さっそく主治医と相談し、薬と注射を最小限に削減してもらうことにしました。同時に、ベッドの生活で歩行困難になっていた身体を人並みにまで取り戻すために、運動も開始しました。
そんな時でした。私の病状を知った姉が、昔、家で母が作っていたニンニク卵黄粉を私のためにと作って送ってきてくれたのです。
ニンニク卵黄粉は、南九州ではどの家庭でも三世代前までは作っていたものです。ずっと昔から伝わっている家庭の健康食品だったのです。しかし私は、こんなもの自分の身体にどう役立つのか分らないのにとこの粉を飲むでもなく忘れていました。

 ところが、ますます衰えていく体力に、何とかしなければと、内心ワラをも掴む思いの私は、ある日からこの粉を飲み始めました。
 何週間経過した頃から、今迄より調子がすこし良いかなと感じるようになりました。
 そして、不思議なことに、夏が過ぎて秋になると、朝の散歩も苦労なく出来るようになり、さらに軽いジョギングさえ出来るようになりました。好きなゴルフの練習も再開し、50球から100球200球とだんだん増えていきました。
 主治医にこのことを話して、投薬を更に減らしてもらい、食事、睡眠、運動を大切にしようと自覚しました。

 秋が深まる頃には、毎日五キロを走り300発のゴルフボールを打つことができるまでになり、体力は昔の水準に近づいていることが分りました。
 「姉さんありがとう」―心から感謝の気持ちが込み上げてきました。
やはり健康的な生活をおくれるのは、ニンニク卵黄粉を送ってくれた姉と云うか、13年前に亡くなった母のおかげだと心から感謝しました。姉の手を経て私に贈ってくれたのです。そう思うと、『よし!身体をさらに鍛え直そう』と強い決意がふつふつと湧き上がって来るのでした。


 後悔を立ち直りの決意にかえて、あれから三年、私の身体は順調に体力を回復しています。毎朝、ジョギング六〜七km、食事、睡眠を心がけ、健康生活とともに、ついに健康を手に入れたのです。

 そして、世の中の人々の健康のために、農薬を使わずに生産したニンニクと自然卵という単純な原料を素にした素朴な食品、ニンニク卵黄粉、この素晴らしい粉の存在とともに食事、睡眠、運動を充分にとった健康生活を教えてあげようとも決意したのです。

 人は健康であるときは、以前の私と同様、そのありがたさには気付きません。健康の黄信号や赤信号にもなかなか敏感に対応しにくいものです。また、積極的に生活のパターンを変えようとしないものです。それが間違いの元となるのです。

 いま、私の体験を口コミで知った多くのニンニク卵黄粉の愛用者の方々からも、その健康生活についてのご報告を数多く受けています。
しかし、残念な事例も中にはあります。親友K氏の奥様が昨年突然亡くなられました。昨年春定年を迎えられたK氏は永年苦労をかけた奥様とゆっくり旅行でもと計画されている矢先の不幸でした。病院にかかられた時には、もうガンの末期であったとのことでした。日常生活の中で、思いもよらぬ突然の不幸、まったく口惜しい出来事でした。やはり、私と同じく長年の生活習慣によるものだと残念でありました。
 
 

 人生は健康であってこそ幸せです。健康が基本条件。この単純なことに長く気がつかなかった己の愚かさを恥じつつも、しかし、だからこそ世の中の多くの方々の健康維持のために役立とうと決意した私は、健康生活(食事、睡眠、運動)の食事バランスの為にニンニク卵黄粉を頒布する会社を設立しました。故郷の誰もが健康食として作り、愛用して来たこのニンニク卵黄粉を、復活し世に広めることが、私の人生のこれからの使命だと思っています。
天国にいる母から私に与えられたこのプレゼントを、私も健康維持を願う多くの人々へこのニンニク卵黄を頒けあってゆくこと、これが、これからの私の使命だと心に決めたのです。

 今、健康は積極的に創る時代、アクティブヘルスの時代です。いつまでも健康で若々しく。貴方の、そしてすべての人々の人生の永遠の課題に、私は必ず役立つと確信しています。
私は、健康な習慣の体現者として生き続けたいと願っています。いつまでも若々しく、いつまでも元気で……。
今日も、さわやかに走り続けています。

※ この文書は、弊社が「にんにく卵黄」を製造販売するに到った経緯を、実体験を元に記述したもので、「にんにく卵黄」が特定疾患に対し、治療的効果を持つ事をお知らせするものではございません。

 

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